こんにちは!CEOです。(ceo of cococolour)
依存と自立ってよく聞くけど何が違うんだっけな?
わたしの対応は、自立させてると思うけど。
依存先を増やすとかってよく聞くけど、難しくてわかんないよ。
今回はこんな疑問に
現役介護福祉士として福祉業務に携わるわたしCEOがお答えします。
答えましょう。
結論から言うと、依存も自立も表裏一体。
深いテーマですが、掘り下げていってみようと思います。
それではいってみましょう!
自立と依存の違い
子育て中の方、福祉業に従事している方が必ずぶつかると言っても良いこの自立と依存について。
多くの方が頭を悩ませていると思います。
簡単なイメージで言うと、赤ちゃんが二本足で立つまでのつかまり立ち。
あれです。
つかまっている物が特定の人だったり、特定の環境だったりするのが依存です。
自立はその逆の意味。
1人で二足歩行を開始した赤ちゃんです。
人間誰しも少なからず依存していることになるわね。
依存的自立とは
東京大学先端科学技術研究センターの准教授である熊谷晋一朗氏が述べている
【自立とは、依存先を増やすこと】
という考え。
逆説的ね。
自立を支えているもの=依存する物・人・場がたくさんあること。
この考え方が依存的自立であるのですが、深いテーマですね。
ある意味で健常者と言われる人たちも、一人では生きられません。
誰かを頼りつつも
自分の足で立ち上がっていくということでしょうか。
ご自身で出来ることはなるべくご自身でやってみる。
これは大事だと思います。
介助ばっかりしてたら、何も出来なくなってしまう可能性もあるからな。
生活支援員とは
続いて少しだけ話題を拡張して、
生活支援員とはいったいなんなのか。
という視点で依存のことと絡めて見てみましょう。
まずは生活支援員の定義から。
サポート役
生活支援員は、高齢者や障がい者に対して、食事や入浴などの介助、施設内で取り組む各種作業のサポートを行う職種です。
基本的な役割は、福祉施設・事業所において、高齢者や障がい者の日常生活を支援することです。
Googleより
わかりやすく言うと”施設で利用者と一緒に過ごす(働く)スタッフ”のことですね。
利用者の方のサポート役・黒子・忍びの者とも言えるでしょうか。
忍びの者
依存ではなく自立を促す立場
たま~にいる生活支援員のタイプで
「私がいないとこの子たちは言うことを聞かないから」とか
「私にしか出来ないから」
という方がいます。
個人的にこういった考えは疑問が残ります。
なぜかというとこういう事を言う方ほど、お互いに依存している状態を作ってしまっていることが多いから。
一生懸命なのはわかりますよ。
わたしもそうなりがち。
みんながなりがちよ。
しかし色々経験した上で考えてみると
”その人じゃないといけない”
というのは属人化と言う状態。
関係性上でも精神衛生上でも、危ないのです。
仕事ですから、大切なのは替えが効くこと。
”属人化”についてはこちらに詳しく書いています。
一方で”依存先を増やす”ということには賛成です。
結果的にその利用者は色々な方と関わることになるので、一人に執着する状態よりは良い考えだと思います。
難しいテーマですよね。
そして深いぜ。
わたしたち支援員の仕事は
”利用者の出来ることを増やす”
だったり
”そのために必要なサポートをする”
ということが求められます。
気持ちはすごくわかるのですけど、”やってあげる”とか”面倒を見る”ではありません。
年相応の扱いをしていくことが本当に大切になってきます。
もちろん「そんなもの理想論だ」とか「机上の空論だ」という意見もあります。
そうだとしても
”始めから依存させる”
のと
”年相応の扱いをする”
のとでは年齢を重ねていった先に与える影響が変わってくるのでは…と。
基本的には健常者にしないことは発育フリーの方にもしない
これがわたしの大切にしている考え方です。
年相応の扱いが大切なんじゃないかしらね。
こういった意識が浸透していないために
・緊急時でもないのに利用者とずっと手を繋ぐ支援員や
・異性の利用者の頭を撫でたりする支援員
が後を絶たないと思われます。
成人した健常者と手を繋ぎますか?ってことだな。
同じ目線
以前も書いたように”面倒を見てあげている”という謎の考え方を持った支援員がたまにいます。
ハッキリ言います、それ、勘違いです。
発育フリーの方々はそういった”未熟な考え方をする支援員”でさえも、受け入れてくれている
どちらかというとこちらが正解だと思います。
業務中は利用者と同じ目線に立ち、同じように楽しみながら仕事をする。
こういうやり方が大切だと思いますし、結局支援員も楽しいのではないかなぁと。
場合によっては注意することだって大切ですけどね。
なんでも
「よしよし、良いよ良いよ」
だとそれは結局子ども扱いですし。
どうしたら良いんだ…。
わけわからなくなりますよね。
わたしの個人的に持っている判断基準は
あなたのその手助けが
相手のためになっているのか?
です。
【なんでもかんでも受け入れること】は、この視点に立った場合どうでしょう?
こだわり行動を助長したり、余計に増やしてしまうことに繋がる可能性があります。
場合によってはそのことで利用者ご本人がより生きづらくなることだって考えられる。
(やらないと気が済まなくなる、やらないとパニックになるなど)
支援員として働きながら、その仕事が予期せずとも利用者のこだわり行動を助長してしまう。
この結果はあなたの理想とする働き方でしょうか?
おそらく違うと思います。
こういったことを考えると、利用者の要望全てにオーケーを出すことは少し疑問が残りますよね。
彼らの生きづらさを助長したくはないわ。。
わたしたちはその仕事柄、平等を体現することが求められています。
求められていることが大きなテーマなので、すぐに出来るかと言われると難しいですよ。
相性の良し悪しだってあります。
支援員の器量だってあるかもしれません。
そして偉そうに語っている私ももちろん完璧に出来ません(笑)
でも、常日頃から
わたしたちの一つ一つの対応が利用者の方へ影響する
ことは強く意識していたいと思っています。
年相応の扱いは本当に大事よ。
体験談
さぁ今日もいってみましょう。
あといくつ思い出せるかわかりませんが、浮かんでくるおもしろ体験談はなるべくみなさんとシェアしていきたいと思います。
環境系発育フリー
ある日の電車内。
利用者から「カラスはいつから嫌われたのですか?」と疑問を投げかけられました。
何の脈略もなくいきなりですからつい、
なんでそう思ったの?
と聞きます。すると
だって害鳥とか害獣と言う言葉があるから。
彼はいま、カラスがなぜ嫌われているか疑問を持っている。
なるほどね、それは多分ゴミを荒らしたりするからじゃないかなぁ?
と、支援者として可もなく不可もない答えを述べると
なぜ?彼らは掃除屋とも言えるのに!
と少しボルテージが上がりました。
ここは電車内。
まず落ち着かせなければ…とない脳みそをフル回転させます(笑)
たしかにね、自然界の立場から見たらとても重要な存在かもしれないね
と大人の対応を見せる私。
ただ、それだけだとこちらが論破されただけで悔しいので付け加えます。
でもさ、人間の社会生活という視点から見ると、せっかく袋にまとめて出したゴミを漁られるとカラスに対してどう思うかな?
と聞いてみる。すると
そうですね、それは迷惑とも言えます。
と納得した様子。
内心理解してくれてホッとしました。
その方曰く、カラスは昔妖怪としての伝説もあったそうです。
八咫烏(やたがらす)だと思います。
そんなところまで知識の興味が広がっていることが凄い。
彼曰く
“カラスを妖怪として扱っていた時代”と
“現代のカラスへの扱い”
の大きな違いに気づいたから、疑問を抱いたそうです。
ちなみにその”カラスの伝説について”の情報源はどこなの?と聞くと
ウィキペディアです
とのことでした。
ウィキかい。
依存させてないですか?依存と自立の関係【依存的自立とは】:まとめ
いかがだったでしょうか?
今回の記事をまとめると
ということでしたね。
自立と依存の意味
ここまで読んでいただいた読者の方ありがとうございます。
今日は生活支援員としてありたい姿・あってほしい姿にフォーカスした内容をお届けしました。
最初から出来なくても良いです。
まずはやろうとすることが大切と感じています。
今回のテーマは、日々の仕事中も常に頭にいれていきたいと思います。
今回の記事で興味が出てきた方は、こちらの記事もぜひご覧くださいね。
今日のところは以上となります。
またお会いしましょう!
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